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私の中高時代~抑圧の日々

小学校時代のスパルタ式の塾のおかげで、私は私立学校に入学することになりました。
それが岡山白陵中学校・高等学校です。

現在の私の母校は東京大学に20人以上の合格者を輩出する進学校となっていますが、私の通っていた昭和56年~昭和63年当時は東京大学に合格する人は数人程度の学校でした。
私は10期生であり、学校自体の歴史が浅かったこともあるかとは思いますが、学園創設者M先生(通称:園長)の時代錯誤の教育方針が大きく影響していたことは否めません。

<不合理な教育>
①第二次大戦以前の自分が使っていた英語のテキストを使う。
→中1で習う英単語が「soldier(兵隊)」「tank(戦車)」
②中3から高2までドイツ語かフランス語が必修科目となっている。
→受験には全く関係がありません。
③中学校でも留年制度がある。
→義務教育で留年させるのは通常ではありえません。
④英文の暗唱テストが毎回あり、できないと尻を棒で20回叩かれる。
→ひとつ間違えるごとにマイナス5点の減点方式でした。
⑤M先生はいつ激怒するかわからない。
→当時は「園長が発狂した」と言っていました。

<理不尽な校則>
①通学以外で外出するときは事前に学校の許可を受けなければならない。
→違反すると2週間の停学
②外出する場合は制服でなければならない。(私服禁止)
→違反すると2週間の停学
③通学時に飲食してはならない。(ジュースも禁止)
→違反すると2週間の停学
④頭髪は丸刈り
→規定以上に伸ばすと、昔の武士のように頭の中央部だけ刈られる。

そんなM先生も私が中学2年生のときに急逝され、不謹慎ではありますが、正直ほっとしたことを記憶しています。
おそらく、M先生がその後も健在であれば、私は母校を卒業できず中退していたことでしょう。

M先生亡き後、上記の不合理な教育はすぐに見直されましたが、理不尽な校則はなかなか改められませんでした。
私はそんなバカなものを守れるはずもなく、卒業までの6年間に、恥ずかしながら無期停学:1回と停学2週間:1回の処分を受けました。

停学といっても、自宅謹慎などというヌルいものではありません。
学校の周辺で、穴掘りや草むしりなどの強制労働をさせられるのです。
高い授業料を親に払ってもらっているのに。。。

そして、私は自分は悪くないと信じていましたので、反省などできるはずもありません。
「退かぬ!媚びぬ!省みぬ!!」
この機会に身体を鍛えるんだと自分に言い聞かせて、狂ったようにツルハシを振るっていたことを覚えています。

まさに忍耐力だけを培った中高時代でした。

(Episode 3)


信和綜合会計事務所(大阪市中央区の税理士法人)
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