一月も半ばを過ぎました。
早いもので、阪神大震災から20年も経過したことになります。
当時、私は大阪の大手監査法人に勤務しており、実家のある高砂市からJRで通勤していました。
その日の朝のことは今でもよく覚えています。
何か揺れだしたなと思ったら、木造の家が「キッコン、キッコン」と音を立てて軋み出しました。
あわてて布団に隠れましたが、なかなか揺れが収まらず、ベッドで何度も頭を打ちました。
震源地からだいぶ離れた高砂市でもあれだけの揺れでしたので、神戸市など震源地から近いところではどれほどの揺れだったのかは想像もつきません。
その日は東京出張の予定だったので、母は朝から台所で朝食を作っていたようで、あわてて火を消してじっとしていたようです。
父は備前焼の商売をしていたので、揺れが収まると、あわてて在庫の状況を見るために、自宅に隣接する店舗に飛び出していったことを覚えています。
その後、テレビをつけると、ご承知のとおりの惨状が報道されていました。
悲しいことに知り合いも何人か亡くなりました。
天災とはいえ、亡くなった6千人を超える方の無念は筆舌に尽くせません。
誰もが人間としての無力さを感じたのではないでしょうか?
JRも壊滅的な損害を受けましたが、驚異的な復旧工事により、二ヶ月半ほどで再開しました。
再開までの間、私は姫路から播但線で和田山まで行き、山陰本線で京都を経由して、大阪まで何度か往復しましたが、途中から大阪府内に部屋を借りて監査法人に通勤するようになりました。
その過程で、いろいろと思うところがあり、監査法人を退職して独立開業することに決めたのです。
思うところについては以前にも少し書いたことがありますが、長くなるので今回は触れないことにしますが、20年前の震災がひとつの契機になったことは間違いありません。
これまでの20年は自分なりに頑張ってきたつもりですが、無為に時を過ごした側面もあります。
今までの20年を反省しつつ、これからの20年に臨みたいと思います。